宝塚園芸振興センターについて

宝塚園芸振興センター「あいあいパーク」建設事業、事業経過

 宝塚市の地場産業である花卉植木産業は、その中心である山本地域において約千年の歴史を有している。豊臣秀吉の時代には接ぎ木の術を発明し、木接太夫の称号を贈られ、明治時代には洋種の導入を積極的に行う等、日本三大植木産地(埼玉県川口市、福岡県久留米市)の一つに数えられてきた。
 しかし、振興植木産地の台頭と、都市化の進展による植木生産基盤の縮小、後退によりその全国的地位を低下させてきた。加えて、平成7年の阪神淡路大震災により、山本地域は大きな被害を受けた。
 そのため、平成7年3月に地元代表者か16名から、震災により使用不可能となったコミュニティー施設と共に、花卉植木産業の振興施設の建設の陳情があり、宝塚市としても本格的に検討を開始した。
 市としては、園芸振興施設、コミュニティ施設に防災公園を加えた建設を、地元財産管理組合(山本・丸橋・口谷角財管)から土地を無償使用貸借した上で建設することを提案し、平成8年12月に協定書、平成10年9月に契約書を締結した。
 施設及び公園は、英国式を採用し、設計も英国の設計家に依頼した。英国式を採用したのは、社会全体が洋式化の方向へ進み、建築物及びそれと密接な関係にある造園も例外ではなく、そのため、花卉植木産業振興の一つとして、西洋の造園の考え方、技術を取り入れ、それに伝統技術を加えて新たな発想と技術を導入し、活性化を図っていくため、日本の伝統技術と思想的にも共通する部分がある英国式を採用したものである。
あいあいパークの概要
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